右の写真の中央の人物が久一郎。向かってその左が長男荷風。久一郎の右(学生服)が牧師になった次男。その右が荷風の天敵の三男威三郎。一番左が母。余丁町の荷風の実家(来青閣)の庭で。永井久一郎 - Wikipedia: "永井 久一郎(ながい きゅういちろう、嘉永5年(1852年)8月2日 - 大正2年(1913年)1月2日)は、日本の官僚。名は匡温。字は伯良、また耐甫。漢詩人としても名高く、禾原(かげん)・来青閣主人の号を持っていた。正四位。
作家永井荷風は長男。"
父危篤のとき、荷風は箱根に芸者八重次と遊びに行っていた。雪で音信不通となり、大騒動となった。以来、荷風は血族とは距離を置くようになる。
永井家の祖先永井直勝とはこんな人:
永井直勝 - Wikipedia"永井 直勝(ながい なおかつ、1563年(永禄6年)- 1625年3月5日(寛永2年1月27日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将(大名)。
はじめ徳川家康の嫡男・松平信康に仕えたが、天正7年(1579年)の織田信長の要求により信康が自刃すると、徳川氏から去って隠棲した。天正8年(1580年)、家康に召しだされて再び家臣となる。天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いでは池田恒興を討ち取るという功績を挙げたため、家康や織田信雄らから賞賛された。
上野国小幡藩主、常陸国笠間藩主、下総国古河藩初代藩主。永井家宗家初代。
長田重元の次男。母は鈴木某の娘。官位は従五位下。右近大夫。通称 伝八郎。正室は阿部正勝の娘。
子に永井尚政(長男)、永井直清(次男)、永井直貞(三男、豊前守)、永井直重(四男、式部少輔)、娘(柴田康長正室)、娘(土屋利直正室)、娘(淳美友之室)。
子孫に永井荷風や三島由紀夫がいる。すなわち、直勝と大河内秀綱次女の由利姫との間に生まれた永井正直が荷風の12代前の祖先であり、直勝と阿部正勝息女との間に生まれた永井尚政が三島の11代前の祖先にあたる。"
先祖に一人でも腕っ節の強いのがいると、子孫は得をするのである。
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